福岡大学サッカー部からW杯へと駆け上がった男、坪井慶介が引退を迎えた。
彼の大学時代からこれまでを振り返り、「大学サッカーで夢を叶える。」ということについてお話します。
(参照:福大サッカー部公式サイト)
福大サッカー部からW杯選手へと駆け上がった坪井慶介
提供:レノファ山口
93年J創設以来、福大サッカー部OBのJリーガーは、70名近い。
今季のJ現役選手は、28人。
その中で最年長40歳、そして唯一W杯ドイツ大会日本代表として夢のピッチに立ったのは、坪井慶介ただ一人である。
(2001年北京ユニバーシアード優勝写真)
提供:福岡大学 乾寛監監督
18歳の高校生であった頃から、その瞳はキラキラと輝き、自らの人生を自分自身の努力と研鑽によって築き上げていった。大学入学した当初から自身のルーティンを持ち、練習前後のカラダ作りやケアをしながら毎日全力でプレーする姿勢は、40歳でプロを引退する日まで変わらない彼の生き方でもあり、こだわりである。
守備の職人技として、インターセプトを得意とし、高い集中力とスピード、類いまれな俊敏さによってファウルしないでボールを奪い切ることにおいて、彼を上回る者はいない。
その一方で、フィード力は人並み以下で右足のインサイドパス以外は、あまり見る機会が無いほど、心許ないレベルだった。
そんな坪井が一年から福大レギュラーを勝ち取り、守備力を磨いたのは二年先輩であったFW黒部光昭(のちに京都サンガ、日本代表)の存在が大きかったと思える。
毎日の練習で二人がバトルする姿勢は壮絶で、お互いが高い意識でぶつかり合い、火花を散らすデュエルは今でも私自身の記憶の中に鮮明に焼き付いている。
(左から2番目坪井選手、佐賀龍谷太田恵介監督、巻誠一郎選手)
提供:福岡大学 乾寛監監督
九州の福岡大学からユニバーシアード代表。
そしてJリーガー、A代表、W杯へと駆け上がる彼等の姿は、私自身の指導者人生訓でもある、個々の特長や強みを見つけ、育て、活かして勝つ、「遅咲きの法則」を気づかせてくれたキッカケとなった。
なでしこジャパン??の主将であった澤穂稀選手が使う言葉に、
「夢は見るものではなく、叶えるものである。」
という一節がある。坪井慶介という人物は、「18歳の時点では、プロからの誘いも全く無い無名の若者が、夢のような目標を現実にして叶えていく道筋を示してくれた。」
ありがとう、そして40歳までの現役生活、お疲れ様でした。
また人生の次のステージで活躍する姿を期待しています。