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チームの代表としてPK戦に臨んだ選手達に心からの感謝と賛辞を~リュシオ辰野~

高校選手県予選、全日本少年サッカー大会予選の真っ只中ですね。
トーナメント戦を戦う上で、避けて通れないのが「PK戦」です。
蹴る方も、止める方も、そして観る方もこれほど胃が痛いプレーはないのではないでしょうか。
PKを蹴る選手にのしかかるプレッシャーは大人であっても子どもであっても、日常生活ではまず直面することのない類の物でしょう。
成功しても、失敗しても、何か選手の成長の糧になればと願うばかりです。

今回はリュシオ辰野の瀬戸副監督にPKのキッカーへのエールをいただきました。

チームの代表としてPK戦に臨んだ選手達に心からの感謝と賛辞を

「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ。」

「ドーハの悲劇」がなければ日本代表が初出場していたであろう1994年アメリカW杯の決勝戦、イタリア対ブラジルのPK戦でイタリア代表5人目のキッカー、ロベルト・バッジョがPKを外して敗戦した後の言葉です。

当時、ヨーロッパ最高の選手としてアズーリ(イタリア代表の愛称)のエースナンバー10番を背負いその活躍が期待されていたバッジョ。

しかしながら故障の傷も癒えないまま迎えたW杯では不調のためスタメンすら外れることもありました。

そのようなコンディションであっても途中出場したバッジョは起死回生のゴールで何度もイタリア代表の危機を救い続けました。

まさに奇跡の勝利の連続で辿り着いた決勝戦の相手は当時世界最強の2トップと言われていたロマーリオ、ベベトを擁するブラジル代表。

爆発的な攻撃力で勝ち上がってきたブラジル代表が試合を優位に進めるものの、フランコ・バレージを中心としたイタリアDF陣が奮闘したこともあり、試合はスコアレスのままPK戦にもつれ込みます。
4人目を終えた時点でのスコアは2-3でブラジルがリードし、外せば負けるという状況でイタリア代表5人目のキッカーはバッジョ。

ケガを押してW杯を戦い続けてきたバッジョの足は、すでにPKのキックすらまともに蹴ることが困難な状態だったと思います。

しかし、W杯決勝という大一番でPKを蹴れる選手はバッジョをおいて他におらず、バッジョはそのような状況をすべて背負い込み、残された力を振り絞り放ったシュートはクロスバーを越えてしまいました。

シュートを外してその場に立ちすくむバッジョの姿がなんとも印象的で今でもしっかり記憶に残っています。
結果としてイタリア代表は敗れてしまいましたが、チームメイトの誰一人バッジョを責める人はいませんでした。

試合の勝敗を決するPK戦でペナルティーマークにボールを置いた選手の孤独感、のし掛かる重圧はそれが全日本U-12サッカー選手権大会の県大会であってもW杯と変わらないものだと思います。

今回、チームの代表としてPK戦に臨んだ選手達に心からの感謝と賛辞を送ります。
こういう状況下で自らがすすんで「PKを蹴りたい!!」という子ども達を一人でも多く育てていけたらなあと思います。


寄稿者:瀬戸八州(リュシオ辰野副監督)

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